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電気じかけの予言者

きみがここに来ることを、ぼくは知っていた。

自分の価値は他人が勝手に見出すもの。(アドラー心理学を学ぶ)

イチオシ!

若生悠矢@spectiveprophetです。

仕事でも恋愛でも、こじらせてしまうと、自分の行動がおかしいんだと思い込んで、必死に行動を変えようとします。そしてこれが負の循環を生んで闇落ちしたりすることになります。

僕はアドラー心理学を通じて、これがどういうことなのか探っています。

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自分の価値は存在にある

人間にとって最大の不幸は、自分を好きになれないことです。この現実に対して、アドラーはきわめてシンプルな回答を用意しました。すなわち、「わたしは共同体にとって有益である」「わたしは誰かの役に立っている」という思いだけが、自らに価値があることを実感させてくれるのだと。

「共同体に有益」「誰かの役に立っている」ということから間違えてはいけないのは、これは具体的な行動や状況の問題ではなく「存在」の問題だということです。

「僕がこうすれば相手が気づいてくれるはず」「僕は有益な存在になりたいからこの仕事をする」という具体的な裏付けらしいものをもっている行動は、自分を苦しめる原因になります。

「理由がないのに行動できない」と理由探しをすることも同じ。「理由探し」は「期待探し」です。期待や理由を考えるということは自分の損得しか考えていないということです。

相手は自分の期待どおりに生きているわけではないので、真逆の結果が自分に返ってくることがあります。完璧に期待通りになることなんてなく、不完全燃焼になる可能性が高い。そして反省して再チャレンジしていくという悪循環を生みます。

僕は長い間「期待されていないことはしたくない」と思っていました。自分の生き甲斐のために他人の期待を探して期待に応えられるように行動する。そしてそれが合っていようが間違っていようが右往左往することこそ生き甲斐だと思っていました。

自分のことを振り返ると、自ら不幸に突っ込んでいっていたとしか思えないのですが、そんな自分がいいとか役目だとか言い張っていましたから、どうしようもなかったのです。

実際にはそんなことしなくても良かった。自分の生き甲斐のために考え抜いたにも関わらず、行動そのものにはほとんど意味がないし、むしろ害にすらなっていました。

そういう点で、引用したアドラーの言葉は勘違いしそうですし、以前の僕も勘違いしていたかもしれません。

自らに価値があることの実感

再び引用します。

「わたしは共同体にとって有益である」「わたしは誰かの役に立っている」という思いだけが、自らに価値があることを実感させてくれるのだと。

アドラーの「勇気」という言葉を使うなら、今ある自分が相手にとって有益であり、役に立っていると信じる勇気を持つことから始めなければいけないでしょう。

過去に囚われていたり、将来の目標に囚われているのではない、今この瞬間を楽しんでいる自分が有益な存在だと信じる勇気。

自らに価値があるということはあくまで実感であって、確かめようがないものだと思います。確かめようとするのは不安だからです。でも、期待に応えてもらえなくて自分が傷つくように、実は具体的に確かめられる方が危険な状態なのではと思います。

自らの価値は、自らの手に入れるものではなく、勝手に他人が自分に価値を感じるものだということです。

直接的に自分への価値を求めることは、自分の価値を毀損するといってもいい。

他人へ期待して応えてもらえることは、どこまでいっても不安定です。でも自分で自分に期待をかけることができれば、自分は100%期待に応えてくれます

そのためにはまず期待できる自分となること。つまり自分を好きになることしかありません。

もし自分が期待する自分というものがないとしても、遅いことはありません。僕も自分に期待できることを探しているところですが、そんな中途半端な自分に期待できています。ブログに書くくらいですから好きなのだと思います(笑)

なので小さなことからでいいから、好きな自分を作っていければいいと思います。

(おわり)

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